古くは佐賀県唐津市の菜畑遺跡(推定年代縄文〜弥生時代)や、新潟県村上市(旧・朝日村)の元屋敷遺跡(同縄文時代晩期)、徳島県徳島市の庄遺跡(同弥生時代前期前半・紀元前三世紀頃)、佐賀県の吉野ヶ里遺跡、福岡県福岡市の板付遺跡などに遡る。
これらはいずれも環濠集落の跡である。空堀や土器等の捨て場として使われる環壕もあったが、上記の遺跡では溝の底から水路の底であったと思われる堆積物が出ている、幅や深さが各々 1m 前後であり用水路に適している、緩やかな傾斜が付けられている、堰の跡が見つかっているなどの状況から、灌漑用水路として使われていたと推定されている。
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このように、日本の用水路の歴史は、弥生時代頃に稲作文化とともに伝来した農業用水が起源であったと推定されている。
近世になると稲作技術が進展し、石高の向上を競った諸藩の大名などにより新田開発が盛んに進められるようになるが、稲作に欠かせない水の確保が課題となり、川などからの引水が難しい内陸部へ農業用水を引くための用水路が各所に造られるようになる。